ヴェルサーチの歴史
おはようございます。
東京リサイクル家です。
今日のテーマはヴェルサーチの歴史です。
1946年 | イタリアの南部にあるレッジオ・カラブリアにてジャンニヴェルサーチ誕生。ヴェルサーチの母親はブティックを経営していたので、幼い頃からファションへの関心が高かった。勉強を兼ね母親の店を手伝っていたヴェルサーチは本格的にファッションの世界へ足を踏み入れようとミラノへ。 デザインの勉強を始める。彼のカッティング技術は注目され、「ジェニー」のデザイナーにスカウト。ヴェルサーチは、以後「マリオヴェルサーチ」の皮革部門や「コンプリーチェ」の契約デザイナーとして活躍、ファッション業界にその名を広げていくことになります。 |
1978年 | ヴェルサーチ初のコレクション「ジャンニヴェルサーチ」をミラノで発表。 ジャンニヴェルサーチ社を設立。 ミラノのスピーガ通りにブティックをオープン。 |
1981年 | 香水を発売。 |
1982年 | イタリアの婦人服デザイナーの最高賞「ゴールデン・アイ賞」の第1回受賞者に選出。 |
1983年 | アメリカの「カティ・サーク賞」を受賞。 |
1985年 | セカンドラインの「インタスタンテ」 |
1988年 | 「Stanley Marcus Award」を受賞。 |
1989年 | パリでオート・クチュールを発表。この時期には、精力的にオペラやバレエの舞台衣裳なども手がけている。 |
1990年 | パリで初のオートクチュール・コレクション「アトリエ・ヴェルサーチ」をホテル・リッツで発表。 「ベルサス」をスタート。 |
1993年 | 妹のドナテッラ・ヴェルサーチ(Donatella Versace)が「ヴェルサーチ・ヤング」を子供向けのラインとしてスタート。また、ジーンズラインの「ヴェルサーチジーンズクチュール」「アトリエヴェルサーチ」「ヴェルサーチスポーツ」「ヴェルサーチクラッシックV2」コスメの「ヴェルサーチビューティー」など、次々と未来性のある作品を発表。 |
1995年 | 映画「ジャッジ・ドレッド」の衣装を手がける。 |
1997年 | マイアミの別荘近くでゲイの高級売春夫(恋人との説が濃厚)によって射殺。ロイズ組合保険からはヴェルサーチ・グループにたいし、キーマン保険の保険金23億円が支払われた。ミラノモードの「3G(スリージー)」として、ジャンフランコ・フェレとジョルジオ・アルマーニと共に、90年代のミラノを引っ張った。 |
1998年 | 春夏レディスコレクション以後はドナテッラが後継となる。ドナテッラ・ヴェルサーチ 兄と同じレッジオ・カラブリアで1959年に生まれる。フィレンツェ大学で言語学を学ぶ傍らで、ヴェルサーチの広告スタイルを決定づけた写真キャンペーンを統轄。以後、ヴェルサーチには必要不可欠な人物として活躍。ファッション・パイオニアをめざした最先端ブランド「ヴェルサス」の主任デザイナーなどを経て、現在イメージ・ディレクターとスタイルディレクターを兼任、さらにヴェルサーチ・グループの副社長を務める。そして創業者のジャンニヴェルサーチの遺言通り姪のアレグラが、ヴェルサーチ株式の50%を相続しました。 ヴェルサーチのロゴ(マーク)は恐ろしい顔をしたメデューサで有名。彼の作品は今もなお語り継がれています。 |
2003年 | 新作ウオッチコレクションは、象徴であるメドゥーサやグレカ模様がアクセント。ブランドステータスを表し、スイスメイドならではの精密さと、機能性が揃った魅力あふれる時計となっている。 |
美の探求者として、類まれな才能を発揮した故ジャンニ・ヴェルサーチの世界観は、今なお、後継者ドナテラ・ヴェルサーチによって脈々と引き継がれています。 |
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